車載機器や産業機器、医療機器、OA機器、民生機器などの電子機器には、電源ICが欠かせない。電源ICをうまく使いこなさなくては、魅力的な電子機器を実現できないと言っても過言ではないだろう。
その電源ICにとって重要な特性は何か。すぐに頭に思い浮かぶのは、変換効率や出力のリップル電圧、最大出力電流などである。しかし、こうした特性のほかに、これらと同等、もしくはそれ以上に重要視されている特性がある。それは、放射ノイズ(EMI)である。放射ノイズとは、高周波の電流が流れることで発生するもの。対策を打たなければ、AMラジオの受信に悪影響を与えたり、ほかの電子回路の動作を妨害したり危険性がある。さらに電子機器の放射ノイズには国際規格が用意されており、規制値をクリアできなければ製品を市場に投入できない。
そこでアナログ半導体メーカーは、電源ICの放射ノイズを低減するため、さまざまな技術を開発して適用している。そうした技術の中で、現在注目を集めているのが、米アナログ・デバイセズ社の「Silent Switcher(サイレント・スイッチャ)」である。この技術を適用すれば、放射ノイズを20dB程度削減できるという。そこで今回は、同社の日本法人であるアナログ・デバイセズにおいてパワーシステムズ ジャパン マーケット マネージャーを務める石井純(いしい・じゅん)氏に、サイレント・スイッチャ技術の基本的な原理や効果、同技術の製品への適用状況、今後の技術展開などについて聞いた
(聞き手:山下勝己=技術ジャーナリスト)
まず、アナログ・デバイセズが製品化する電源ICのラインナップを紹介してほしい。
石井 当社の電源IC製品のラインナップは広い。回路トポロジーで分類すると、降圧型やLDO(Low Drop Out)、昇圧型、昇降圧型、フライバック型、フォワード型に対応した電源ICを用意している。このほかの電源IC製品としてはLEDドライバICやバッテリー充電ICなどがある。特に、現在LEDドライバICは、自動車の各種ランプの駆動に採用されており、市場が急拡大している。注目の製品だ。このほか、電源の応用製品として、アナログ方式の電源回路とデジタル制御回路を組み合わせたパワー・システム・マネジメント(PSM)ICや、PoE(Power over Ethernet)対応IC、ホットスワップ(活線挿抜)IC、スーパーアドバイザICなども用意している。
サイレント・スイッチャ技術は、これらのラインナップの中でどの電源ICに適用しているのか。
石井 同期整流方式を採用した降圧型DC-DCコンバーターICに適用している。同期整流方式とは、ダイオードではなくMOSFETを使って整流する電源回路方式である。すなわちハイサイド・スイッチ(MOSFET)とローサイド・スイッチ(MOSFET)で構成している。
基本構成は「LT8610」を踏襲
サイレント・スイッチャ技術を適用した製品を具体的に教えてほしい。
石井 サイレント・スイッチャ技術を適用した降圧型DC-DCコンバーターICの製品型番は「LT86xx」である。例えば、「LT8640」や「LT 8640S」などがある。
基本的な方針として、最大入力電圧が36V以上で、最大出力電流が2A以上の降圧型DC-DCコンバーターICに適用している。そうした高耐圧/大電流の製品の方が、サイレント・スイッチャ技術を適用する効果が大きいからだ。
LT8640に適用したサイレント・スイッチャ技術について詳しく教えてほしい。
石井 サイレント・スイッチャ技術を説明する前に、LT8640の降圧型DC-DCコンバーターICとしての基本的な特徴を紹介させてほしい。LT8640は、サイレント・スイッチャ技術を適用していない同社従来品「LT8610」の基本構成を踏襲している。つまり、LT8610の特徴をそのまま受け継いでいるわけだ(図1)。その特徴は全部で4つある。
1つ目は、スイッチング周波数を高く設定しているにもかかわらず、変換効率が高いことである(図2)。一般に、スイッチング周波数が高ければ高いほど、変換効率は低下する。スイッチング損失が増えるからだ。しかし、LT8610やLT8640は、スイッチング周波数を高めることで変換効率は低下するが、その低下幅は非常に小さい。競合他社品は1M〜1.5MHzを超えたあたりから、変換効率が大幅に低下するが、LT8610やLT8640は2MHzでも変換効率の低下幅は小さく、大きく落ち込むことはない。
なぜ実現できたのか。技術的な理由を教えて欲しい。
石井 技術的なポイントは2つある。1つは、ハイサイド・スイッチとローサイド・スイッチが両方ともオフする期間、すなわち「デッドタイム」を可能な限り短くしたことである。もう1つは、スイッチング波形の立ち上がり時間を最適化したことだ。通常、立ち上がり時間を短くすると、スイッチング波形にリンギングが発生する。その一方で、立ち上がり時間を長くすれば、電力損失が増える。今回は、立ち上がり時間を短くして電力損失を抑え、さらにリンギングが発生しないような工夫を施した。
具体的には、どのような技術を使っているのか。
石井 ポイントによる性能差が非常に大きい。仮にサイレント・スイッチャ技術を真似できたとしても、この2つの技術的なポイントがあるため、同じ性能や特性を実現することは難しいだろう。
消費電流をスペック化
2つ目の特徴は何か?
石井 2つ目は、スペクトラム拡散クロック技術を採用していることだ。もはやこの技は決して新しいものではないが、当社では独自の工夫を施している。
スペクトラム拡散クロック技術は、クロック信号の周波数を変化させて、放射ノイズのピーク値を下げるもの(図3)。EMI規格は、ピーク値で規制されているため、規格をクリアしやすくなる。その一方で、ノイズのフロアも高くるという問題がある。ユーザーが設計中の電子機器によっては、これが大きな問題になるケースがある。そこで当社では、スペクトラム拡散クロック技術のオン/オフを切り替えられるようにした。
さらにクロック周波数の変調幅も工夫した。一般に、変調幅はクロック周波数の±3%などに設定する。しかし、仮にスイッチング(クロック)周波数が2MHzの場合、周波数が低い側に変化すると、AMラジオの放送帯に干渉する危険性がある。そこで当社は変調幅を2MHz+20%に設定している。こうすることで、AMラジオ放送帯への干渉を防げるほか、ノイズ・フロアを低くする効果も得られる。
3つ目の特徴は何か?
なぜ車載機器メーカーは、降圧型DC-DCコンバーターICの消費電流を気にしているのか。それほど大きな電流量だとは思えない。
石井 車載機器メーカーは、降圧型DC-DCコンバーターICの待機時消費電流に対して、12Vバッテリー換算で100μA以下に抑えることを求めている。確かに、降圧型DC-DCコンバーターICが1個だけなら大した消費電流量ではない。しかし、自動車に搭載されるECU(電子制御ユニット)はどんどん増えている。降圧型DC-DCコンバーターICが20個や30個搭載されれば、消費電流量は20倍、30倍になる。このため、1個の降圧型DC-DCコンバーターICの待機時消費電流にこだわっているわけだ。
最後の特徴である4つ目は何か?
入力コンデンサーをパッケージに内蔵
それでは、LT8640に適用したサイレント・スイッチャ技術について詳しく説明してほしい。
石井 サイレント・スイッチャ技術は、2つの技術要素から構成されている。1つは、電源入力を2つ用意したことである。
通常、降圧型DC-DCコンバーターICの電源入力(VIN)は1つだが、サイレント・スイッチャでは2つある。これが「ミソ」である。図6を見れば一目瞭然である。当社従来品であるLT8610は電源入力が1つだけだが、サイレント・スイッチャ技術を適用したLT8640は電源入力が2つある。
通常、電源入力部では、グラウンドとの間に入力コンデンサーを入れる。このとき、入力コンデンサーから、IC内部のハイサイド・スイッチとローサイド・スイッチを通ってグラウンドを経由し、再び入力コンデンサーに戻る電流経路が形成される。一般に、この電流経路を「ホットループ」と呼ぶ。なぜホットループと呼ぶのか。それはハイサイド・スイッチやローサイド・スイッチがオン/オフを頻繁に繰り返すため高周波電流が流れ、それによって高レベルのノイズが発生するからである。
そこでサイレント・スイッチャ技術では、電源入力を2つに分割し、それぞれに入力コンデンサーを接続する。こうしてホットループを2つ作るわけだ(図7)。このときホットループが完全に線対称になるように配置すれば、それぞれのホットループで発生するノイズを閉じ込めることが可能になり、放射ノイズを大幅に低減できるようになる。
打ち消す効果ではないのか?
石井 恐らく、「閉じ込め」と「打ち消し」という2つの効果によって、ノイズを抑えられていると考えている。
もう1つの技術要素は何か?
石井 パッケージ技術である。LT8610とはパッケージが大きく異なる。従来は、Au(金)線を使ったワイヤー・ボンディングで、ダイとリードフレームを接続していた。しかしLT8640では、ダイとリードフレームをCu(銅)ピラーで接続する方法に変えた(図8)。具体的には、ダイの表面にCuピラーを取り付け、表面を下にして(フェイスダウンで)リードフレームと接続する。Cuピラーとリードフレームとの接続は、圧力で押さえ付けるだけだ。この接続方法を使うことで、機械的なストレスと熱的なストレスを吸収している。高い放熱特性も実現できている。
さらにワイヤー・ボンディングは、アンテナとして機能し、放射ノイズの発生源になってしまうという問題もある。この問題もCuピラーに変更することで解決した。
この結果、サイレント・スイッチャを適用したLT8640は、従来のLT8610と比較すると、放射ノイズを20dB程度低減できるようになる(図9)。
次世代のサイレント・スイッチャ技術を開発中
2つのホットループを完全な線対称で配置できない場合は、どうなるのか?
石井 期待通りの効果は得られないだろう。実際のところ、ボード設計に関するさまざまな制約によって、線対称での配置が難しいケースが発生している。さらに、企業によっては、部品間のクリアランス(間隔)のルールがあるため、降圧型DC-DCコンバーターICの直近に置けないケースもある。
こうした問題を解決するために開発したのが「サイレント・スイッチャ2」である。基本的な考え方はサイレント・スイッチとまったく同じである。違いは、降圧型DC-DCコンバーターICのパッケージ内部に2個の入力コンデンサーを内蔵した点にある(図10)。こうすれば、ホットループを構成する金属配線や、入力コンデンサーの配置場所を当社が最適化できる。つまり、ノイズを最小限に抑えられる設計を実現にできる事になる。
パッケージの内部構造を教えてほしい。
石井 当社が「BTサブストレート」と呼ぶガラス・エポキシ基板の上に降圧型DC-DCコンバーターICのダイと、2個の入力コンデンサーなどを実装し、プラスチック樹脂でモールドした。同社は、このパッケージを「LQFN」と呼んでいる。ダイで発生した熱は、Cuピラーを介してBTサブストレートの金属配線に逃がすため、放熱特性が高いという特徴もある。
LQFNパッケージの信頼性はどうか?
石井 一般に、車載機器メーカーはQFNパッケージをあまり好きではない。なぜならば、温度サイクル試験をクリアできないからである。ところがLQFNは違う。BTサブストレートの熱膨張係数がFR4基板のそれに近いため、高い実装信頼性を確保できる。このため、温度サイクル試験は3000回をクリアできる。温度サイクルによるはんだクラックは問題となる発生は一切ない。
サイレント・スイッチャ2技術を適用した製品にはどのようなものがあるのか。
今後、サイレント・スイッチャ技術にはまだ進化の可能性があるのか?
石井 すでに「サイレント・スイッチャ3」と「サイレント・スイッチャ4」の開発に着手している。どのような技術なのかは、現時点では明らかにできないが、2020年中には公表できるだろう。
インタビューで紹介した商品のご紹介
シリーズ | 商品内容 | 型番 | |
---|---|---|---|
LT8610 | LT8610 Demo Board | DC1749B | |
LT8610A | LT8610AB Demo Board | DC2012A | |
LT8610A | LT8610A Demo Board | DC2139A | |
LT8610A | 静止電流が2.5μAの42V、3.5A同期整流式降圧レギュレータ | LT8610ABIMSE#PBF | |
LT8610A | 静止電流が2.5μAの42V、3.5A同期整流式降圧レギュレータ | LT8610ABIMSE-3.3#PBF | |
LT8610A | 静止電流が2.5μAの42V、3.5A同期整流式降圧レギュレータ | LT8610ABIMSE-5#PBF | |
LT8640 | LT8640EUDC Demo Board | DC2202A | |
LT8640 | 静止電流が2.5μAの42V、5A同期整流式降圧Silent Switcher | LT8640IUDC#PBF | |
LT8640 | 静止電流が2.5μAの42V、5A同期整流式降圧Silent Switcher | LT8640IUDC-1#PBF | |
LT8640 | 静止電流が2.5μAの42V、5A同期整流式降圧Silent Switcher | LT8640IUDCF-1#PBF | |
LT8640S | LT8640S Demo Board | DC2530A | |
LT8640S | 静止電流が2.5μAの42V、6A同期整流式降圧Silent Switcher 2 | LT8640SIV#PBF | |
LT8640S-2 | 静止電流が2.5μAの42V、6A同期整流式降圧Silent Switcher 2 | LT8640SIV-2#PBF |